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(平成11年1月25日)

隊長章は、昭和18年10月12日に制定されたもので、隊長の職にあるものを服制上明らかにするのを目的としていた。

隊長章の制定は、東條英機大将の強い意向があったと言われる。

本章には、将官、佐官及び尉官用の3種類があった。

隊長章は、軍衣の右胸下部に糸がかりを縫いつけてそこに装着した。

尉官(左)及び佐官(中央)は、縦4.5cm、幅3.5cmであるのに対して、将官は縦5.5cm、幅4.2cmと一回り大きい。

材質は、いずれもアルマイトで、軽量である。

陸軍中将 物部長鉾(もののべ・ちょうほう)

輜重兵、秋田県出身、陸士26期、陸大33期

昭 9・ 8・ 1 参謀本部員兼陸大教官
昭12・10・15 中支碇泊場監部参謀
昭12・11・ 1 陸軍輜重兵大佐
昭13・ 2・18 中支派遣軍兵站参謀
昭15・ 8・ 1 陸軍少将。 第十一野戦輸送司令官
昭16・10・15 輜重兵学校長
昭17・ 7・ 9 船舶参謀長
昭18・ 2・ 3 船舶練習部長
昭18・ 8・25 船舶兵団長
昭18・10・29 陸軍中将
昭19・ 4・ 6 輜重兵監
昭19・ 7・ 8 留守近衛第二師団長
昭20・ 4・ 1 第百四十師団長
昭20・ 8・15 鎌倉で対着上陸作戦準備中に終戦

第百四十師団について

通称号は「護東」、昭和20年(1945)2月28日に東京で編成された。 

隷下歩兵聯隊は、第401・402・403・404の4個連隊。

終戦時の上級部隊は第53軍で、終戦時は、鎌倉方面において相模湾に向けて連合軍の着上陸作戦に対処するための強力な防御陣地を構築中であった。

この師団は、昭和20年2月以降に内地で40個編成された「本土決戦師団」の一つである。