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(現、陸自土浦駐屯地、霞ヶ浦高校、日動火災総合研修所、理想科学、農地、住宅地ほか)
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旧土浦海軍航空隊正門 土浦海軍航空隊は、大正9年に編成された霞ヶ浦海軍航空隊水上班を前身とし、昭和15年に予科練習生教育部門が分離独立したもので、広大な敷地(現在の陸上自衛隊土浦駐屯地の約3倍)と多数の施設、2つの練兵場を有していた。 写真は、取壊し前に撮影された土浦海軍航空隊開隊時に作られた正門(昭和15年)で、門柱は当時のままである(門柱上の照明器具は戦後警察予備隊が取り替えたもの)。 今は新しい門に変わっており現存しない。 元々は正門の外側も航空隊の敷地であったが、戦後民有地となり写真のように家が建っている。戦前は、歩哨の哨所が正門外の道の両側にあったが、宅地となったため現在その痕跡は全くない。 |
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旧医務科 昭和15年の開隊時に医療施設として建設された建物で、診察室、手術室、薬剤室、ボイラー室が完備され、予科練習生の健康管理・適性検査などに使用された。 現在建物は南側部分が一部取り壊されているため規模が小さくなっているが、「武器資料館」等として現役で使われている。 |
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旧土浦海軍航空隊本部庁舎 航空母艦の感興を模したと言われる本部庁舎は、細かい補修や改変はあったが、最近まで概ね戦前のまま残されていた。 しかし、老朽化が著しかったため平成21年に取り壊され、新しい庁舎が建設中である。 終戦後は、占領軍による接収解除の後、日本体育専門学校(今の日本体育大学)が入ったりしたが、警察予備隊の新編後、最近まで武器学校本部庁舎として使用されていた。戦時中は迷彩塗装されていた。 |
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旧本部庁舎と「雄飛の松」 「雄飛の松」は、皇紀2600年を記念して昭和15年11月22日、新治郡関川村の名主から譲り受けた名木を筏で霞ヶ浦を渡し、本館前に移植したもので、後日当時の航空隊副長であった成富武光中佐が「雄飛の松」と名付けた。 戦時中の昭和20年6月10日の空襲の際に機銃掃射を受けたが持ちこたえた。しかし、平成5年秋頃から樹勢が衰え、6年4月22日に伐採された。 現在の松は2代目で、昭和18年頃本部前に構築された防空壕を偽装するため植えられた樹木の中の1本で、戦後他所へ移されていたものを譲り受け、現在地に移植されたものである。 |
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